日本代表選手遠藤保仁

遠藤保仁が1980年1月28日に鹿児島県で生まれ。鹿児島実業高、横浜フリュ、っゲルす、京都パ、ブルサンガ、ガンバ大阪。卓越したバランス感覚を持ち、攻守で高い能力を発揮します。経験豊富で日本代表には欠かせない存在。09年AFC年間最優秀選手賞受賞。

ガンバ大阪と日本代表。それぞれ異なるチームでゲームをコントロールする彼とは、いつかじっくり話してみたかったので、この対談はとても有意義なものでした。

ガンバ大阪と日本代表の違い

日本代表選手遠藤保仁ポジションが違っています。

「日本代表では自分のやりたいポジションで、やりたいようにプレイしています。特に中盤の後ろの、あそこが一番自分にあっていると思うので、楽しくやってますね。」

「ものすごく自由。何も言われないというか、もちろんやらなきゃいけないことはやりますけど、勝手にポジションを変えたりしてますし。そこは、チームとしてこれをやろうっていうのが、みんな同じ方向を向いているからできる。これをしたいと思ったら、みんなが感じてくれる。だから代表よりは、変な言い方をすると、楽ですね。」

意図を感じてくれる相棒

「いちばん感じ会えた選手ですよね、シュン(中村俊輔)ですかね。ずっと一緒にやっていれば、誰とでも上手くいくと思うんですけど、ピッチにパッと入ったときに『あっ合うな』って、最初にいちばん強く感じたのは、シュンです。あとは、マルセリーニョ・カリオカとか、フェルナンジーニョとか。『あっ、コイツ感じてるな』って思いましたからね。」

サッカー人生の中でいちばん悔しかったこと

ガンバ大阪の遠藤保仁「ワールドユース(99年/準優勝)に出場して、すごく勉強になったんですよ。それで自分の中では順番を決めたんです。次、五輪に出て、W杯に出てって。それなのに、シドニー五輪のメンバーから外されて……。今までのサッカー人生の中で一番悔しかったですね。」

「愚痴れない。シュンは思いっきり中心選手だから。すっごい、ストレス溜まりましたよ。だから、その時無茶苦茶悔しかったんで、もうA代表しかないって、A代表に入って、やらなきゃいけないって。」

悔しさを経験して、野望となったの代表デビュー
「監督がジーコになって、アルゼンチン代表(02年11月20日)ですね。あの時は嬉しかったですねぇ~。嬉しいのと、あと、初めて見る人ばっかりで『代表って、こうなんだぁ』っていうのを知った。」

日本代表に必要な人材

「タカ(高原直泰)でしょ。タカと、なんで(小笠原)満男が入らないのかな、と(小笠原はこの対談の約10ヶ月後、2010年1月に初めて招集される)。それは、すんげぇ思いますけど。前の選手では、タカがナンバーワンだと思ってます。(代表に)帰ってきてほしいっすね。」

2009年も、ヤットは目覚しい活躍を披露してくれた。ガンバ大阪、日本代表で、常にチームの先導役としてフル稼働。Jリーグ7年連続べストイレブンに輝いたうえ、アジア最優秀選手賞も受賞しました。それは、ヤットらしいパフォーマンスを発揮し続けている証拠で、コアなサッカーフアンを喜ばせるプレイを存分に見せつけ、ビギナーフアンの間でも「遠藤」という名前は浸透していったんじやないかな。

ヤツトの良さは、“点を取る”という過程に必ず参加できる選手だということ。そして、点を取るためには、まず相手を崩さなければいけないんだけど、そこで重要になるのが縦パス。ヤツトは、その縦パスを効果的に出せる数少ない選手で、俺は、ヤツトがその縦パスを探っているときがいちばん好きなんだよね。

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