日本代表選手本田圭佑

本田圭佑、1986年6月13日生まれ。大阪府出身します。ガンバ大阪ジュニアユースではユースに昇格できなかったが高校時代は一年生でレギュラーを獲得しました。2007年の北京オリンピック予選では主力として活躍していました。屈強なフィジカルと精度の高いフリーキックで存在感を誇ります。

圭佑の”競い合い”を全力で受け止めた兄

本田圭佑と兄本田弘幸
本田圭佑(左)本田弘幸(右)

大阪市の北東部に位置する摂津市は15キロ平方メートル足らずの小さな町。大小の工場や配送センターが立ち並ぶ準工業地帯です。商用車やトラックが行き交い、市井の人々が忙しげに働く雑然とした界隈で本田圭佑は生まれ育っていました。

圭佑には3歳上の兄がいます。本田家の長男である弘幸さんは帝京高等学校サッヵー部を経て、アルゼンチンで3シーズンプレー。膝の靱帯を痛めたため現役を引退し、現在はサッカー選手の代理人資格を取るべく奮闘中です。その兄が弟について語ってくれました。

「授業以外の行動はいつも弟といっしよでした。サッカーをはじめてからは特にですね。僕が小学校五年、弟が二年のときに地元の「摂津FC」に入ったんです。兄弟げんかですか?けんかは毎日のようにやっていましたよ。けんかはすべて”競い合い”からはじまります。圭佑はなにかしらすぐに勝負を仕掛けてくる夕ィプ。生活のすべてにおいて勝負を挑んでくる。

例えば学校からいっしよに帰っているとしますよね。すると『家の玄関まで駆けっこで勝負や』と言って突然二人でダッシュするんです。毎日がそんなことの繰り返し。でも3歳違いますからだいたい圭佑がまけるんですよ。彼は負けるとすぐに怒り出す。『お兄ちゃん、ズルしたやん。スタート早かったやんか』とか言ってね。そこでけんかが始まる。毎日のようにけんかするんですけど、すぐに仲直りする。3秒後に一緒に風呂入っているみたいな。とにかく何かしら比べようとしてくるヤツだった。勉強以外のすべてにおいてですね。勉強を競った記憶だけはありません。」

圭佑は泣き虫だったという

W杯優勝を公言していた本田圭佑
ワールドカップ・ブラジル大会の第3戦となるコロンビア代表戦に臨み、1ー4で敗れた。

「どんなことでも真剣に取り組むんです。遊んでいても遊びじゃなくなる。例えば『かくれんぼしましよう』ということになっても、まるで『かくれんぼ』というプロの職業があるかのように命がけで隠れる。本気なんですよ。そして負けると必ず泣く(笑)。小さいときは誰だって喜怒哀楽が激しいじゃないですか。圭佑は人一倍でした。だからうまくいかないとすぐに泣いていました。腕相撲とかしても負けそうになると手の甲が机につく寸前にはボロボロ泣いているんです。痛くて泣いているんじゃないですよ。悲しくて泣いているんでもない。悔しくて泣いているんです」

いつも勝負を挑んでくる弟に対し、兄はどんな場面でも弟に対して真正面から向き合っていました。海外での厳しい戦いにも打ち勝つ圭佑の闘争心は、懐深く受け止めてくれる弘幸さんのもとで育まれました。

思ったようにプレーできず伸び悩んだ中学時代

兄とともに地元の摂津FCに入った圭佑は早速頭角を表します。鬼塚徹也コーチは「うまかったんで四年生のときには六年生のチームに入っていましたよ。闘争心は人一倍でした。負けると悔しいのかベソをかいてしょっちゅう半泣きでした」と語っていました。東直樹コーチは「練習が終わっても、ずーっと一人で残ってフリーキックの練習をしていました。暗くなってもできるまでやっているんです」と思い起こします。

当時から絶対プロになると公言していた圭佑。

本田圭佑ファン必見の中学・高校時代
本田圭佑の中学・星稜高校での生活やエピソード

地元のクラブと兄の通う中学校での練習。まさにサッカー漬けの生活でした。

圭佑が中学校にあがると同時に、田中先生は別の中学校へ転勤となっていました。自ら指導することのできなくなった田中先生のあっせんで、圭佑はガンバ大阪のジュニアユースに進むことになります。

同学年には圭佑と同じレフティの選手がいました。家長昭博(現・セレッソ大阪)です。

当時のガンバ大阪ジュニアユースにおいて家長は不動のエースでした。彼に比べると、どうしても圭佑は見劣りしてしまう。当時の指導者、島田貴裕コーチは圭佑をこう見ていました。

「圭佑を指導していたのは、彼が中学ニ~三年生の間です。ボールを蹴ったり止めたりする技術面や、そのときそのときの瞬時の判断が、とてもうまかった。戦術眼がありましたね。いまでも当たりに強くなかなか倒れませんが、当時から、当たり方、ぶつかりあいといった身体の使い方はうまかったですね。でもフィジヵル面はちょっと。持久力とかスピードとかは、そんなにレべルは高くなかったと思います」

田中先生は伸び悩んでいた当時の圭佑について、以下のように分析しています。

「それまで背の低かった圭佑ですが、第二次性徴が一気に来ていて、ものすごい勢いで体が成長していました。その一方で、バランスを失っていたんです。いままでできていたことができなくなる。専門用語では『クラムジー』という状態に陥っていました。小学生で

とてもうまかったヤッが中学に行ったら突然ダメになるというケースがある。急激に大きくなるので体の支店が狂ってしまう。大腿骨が1年で5センチとか伸びてしまうと、いままで簡単にできていたボールコントロールができなくなってしまうんです。その時期が長い小やと1年くらいかかってしまう。

大きくなった自分の体のサィズに合わせてプレーができるようになるまでちょっと時間がかかってしまうんです。圭佑もどちらかというとクラムジーの時期が長かった。

一生懸命やっていたんですけど、大きくなった割に筋力のつくの力遅くてボ—ルコントロールとか体を当てながらのドリブルが売りやったのに、そのへんのバランスを崩していましたね。普通の子やったら中学三年生くらいには克服するんやけど圭佑の場合は、中学時代の最後まで何かバタバタしていました。」

結局、圭佑はガンバ大阪のユースチームに昇格できなかった。彼自身、その後のインタビューでこのことの悔しさについては何度も国しています。

ビッグマウスの真実

サッカー日本代表選手本田圭佑
オーストラリア戦で同点ゴールを決め、喜ぶ本田圭佑

「ボールを持ったら、とりあえず俺を見ておけ」

「サッカーで緊張したことはない」

「状況に応じてチームのためにエゴを消さないといけないが、理想は90分エゴを出すこと」

「それはごもっともだけど俺の考えは違った」

「僕には俊さん(中村俊輔選手)にないものがあると思う」

「審判に邪魔されたとしか言いようがない」

「自信がなけりゃ、やっていられないでしょ」

すべて圭佑語録です。

マスコミからは「ビッグマウス」と報道されている圭佑。仲間とのトラブルや監督との確執など、ありもしない尾ヒレをつけて報道されることが常である。

しかし郷里である摂津市で彼を知る人々の話を聞いていると紋切り型のビッグマウスとはまったく違った圭佑が見えてきました。

ひたむきで、ただただ一途な男の姿が浮かびあがってきます。

しかしただの生意気な男ではない。

指導者からの、ここぞというときの厳しい言葉は圭佑の心に響いたようです。

「それからの彼は変わりましたよ。星稜高校に進んで全国大会に出たとき、摂津FCのチームメイトが東京まで観戦しに行ったんです。みんな『圭佑を応援しに行く』ってね。それを聞いたときにすごいなって思いました。総スカン食らったこともありましたけど、結局、それだけ人望のある人間になっていたんです」

「海外で活躍する」が幼少のときからの目標

日本代表s年手本田圭佑
日本代表でピッチに立つ本田圭佑

「僕ら兄弟は幼少のときから目標が『海外で活躍できる選手』というものだったんです。Jリーグはあまり考えていませんでした。オヤジがよく見ていたのもセリエAとかリーガ・エスパニョーラ、それとワールドカップだったので、『そこで活躍してなんぼ』みたいな感覚はありましたね。海外にいくということは普通なことで、僕がアルゼンチンへ行ったときも、そこに不安はなく、希望だけしかなかったですね」(弘幸さん)

圭佑は2009年冬の移籍市場において移籍金900万ユーロ(約11億9000万円)、4年契約でロシア・プレミアリーグの強豪「PFC CSKAモスクワ」への移籍がきまっていました。それまで在籍していたオランダの「VVVフェンロ」ではキャプテンとキッカーを任されています。いわば大成功を収めていたわけです。ワールドカップの本番を目前に控え、わざわざレギュラーの座が保証されていないチームへの移籍は、リスクが大きいのではないか。

しかし弘幸さんはこう考えています。

「弟をヨーロッパの一選手と見たとき、レベル的にはまだまだだと思っています。日本人として日本のサッカー界でこの選手がすごいという評価のされ方ではなく、やっぱり歴史も長く、最先端を行っているヨーロッパで一サッカー選手として評価される存在になってほしい。

いまの日本のサッカーというのは個人の能力では戦えないので組織で戦いましょうという戦術をとっていますが、そういう環境のなかで評価されていて満足するのではなく、ヨーロッバで戦える選手の一人として、具体的な例を挙げれはパク・チソン(韓国代表・マンチェスター・ユナィテッド所属)のような存在にならなくてはならない。そう考えたときに圭佑の歩みは遅いなとすら感じています。

圭佑が年末に帰国し、初蹴りで田中先生を訪ねた際、自分たっぷりにこう言い切っていました。「日本の価値観ではなく世界の価値観の中でサッカーをしたい。やっぱりヨーロッパやねん」

本田圭佑の目指すところはワールドカップのはるか先にあるのです。

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